おやつの時間は本来は2時が正しいって本当なの?おやつの陰謀とは・・・


おやつの時間は何時?と聞くと・・・
99%の人が15時!と答えると思います。

でも、おやつはなぜ15時なのか、考えたことがありますか?

普段、当り前だと思っていることを調べると
他にもなぜ、日本人は3食食べるようになったのか?

・・・など面白いことがたくさんわかりました。

そのあたりをお伝えしていきますね。

そもそも、おやつの由来とは?

 

おやつの時間は現代では3時のおやつと言われていますが
本来はお昼の2時頃が正しいのです!

 

おやつと言われるようになるのは
江戸時代の時刻の呼び方からきています。

時刻の「八つ」からきているのです。

日の出の約30分前が「明け六つ」
日没の約30分後を「暮れ六つ」

その間、昼夜それぞれを六等分して
「一刻(いっとき)」としていました。

江戸時代までは日本人は一日二食でした。

「八つ刻(やつどき)に小昼(こびる)」といって
その時間に間食が始まったことから、この時間の食事のことを
「おやつどき=おやつ」というようになったとのことです。

江戸の町では時刻を知らせる鐘を鳴らされていました。
四つから九つまでが付き分けられていたそうです。

もちろん、四つというのは今の四時ではありません。

四つとは午前10時頃と午後10時頃。
五つとは午前8時頃と午後8時頃。
六つとは午前6時頃と午後6時頃
九つとは午前0時頃とお昼の12時頃
八つとは午前2時頃と午後2時頃
やすおくん

六つ刻は今の時刻と
ほぼ同じだったんだね!

 

十二支での時刻の表し方とは?

江戸時代には十二支で時刻を表す方法もありました。

まず、十二支の最初の「子の刻(ねのとき)」
今の23時から午前1時までの2時間。

次の「丑の刻(うしのとき)」
午前1時から午前3時までの2時間。

・・・2時間ずつで区切られていました。

例えば、「草木も眠る丑三つどき」というのは午前二時~二時半頃です。
「三つ」とはそれぞれの刻を四つに分けた、三番目の時間という意味なのです。

 

ざっくりとしか時間で大丈夫だったのか?

いま、時計がないと困りますよね?

実は、江戸時代は時計を持っていたのは
大名や豪商などの高貴な人物だけだったのです。

一般人は誰ひとり時計を持たず、
でも誰も困っていなかったのです。

鐘の音もしくは太陽の位置で時刻を判別していたのです。

時間がわからないと困る。
これはいつのまにか庶民にうえつけられた洗脳なのかもしれません。

やすおくん

農民からすると、何時何分なんて必要なくて
大ざっぱな時刻がわかればそれで良かったんだね!

 

なぜ、日本人は1日2食から3食になったのか?

1日3食、食べる。
いま、これを読んでいる人は生まれたときからそうだったと思います。

でも、歴史的にみると日本人が2食から3食に変ったのは
まだ、200年も経過していない歴史的には浅いことなのです。

1日3食に変った理由としては諸説あります。
でも、そのなかでも有力だとされているのが「トーマスエジソン」の影響です。

電気を発明した発明王のあのエジソンです。
エジソンは電気の他に「トースター」を発明しました。

「トースター」って電気をめちゃくちゃ浪費します。
エジソンは電気を使用させるため、またトースターを普及させるために
米食からパン食に変えようとしたのです。

朝、パンを食べることが正しいことだ!と洗脳して
見事、トースターを普及させて朝をパンを食べる習慣をつくったのです。

そこから、日本人は1日3食が当り前になっているのです。

 

まとめ

 

おやつについてお伝えをしてきました。
いかがだったでしょうか?

おやつという時間も、もともとはざっくりとした時間だったし
1日3食食べなければいけないというのも決まっていたわけではありません。

それが、いつのまにか全員が時計をもつようになり
1日3食、しかも朝はパンを食べるようになった。

・・・考えるとちょっと怖いことだと思いませんか?

普段、当り前だと思っていること
それって本当に当たり前なのでしょうか?

たまには常識を疑ってみることも
大切なことなのかもしれないですね!

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